アーティスト対談

「アーティストトーク×鼎談」
スピーカー 小山田徹(美術家)× 松田正隆(劇作家・演出家)× 砂連尾理(振付家・ダンサー)
2009年11月1日 『浮遊博物館』関連企画


小山田:『浮遊博物館』の関連企画である「アーティストトーク×対談」は全三回予定されていて、今回がその二回目になります。 前回は社会学者の山田創平さんと一緒に、舞鶴を歴史的に深く掘り下げて考えてみました。「過去」について話したといえます。そこで、今回は舞鶴の未来について話してみたいと思います。地元の方からは「なにをいうてんねん」ということになるかもしれませんが、外部者から舞鶴をみたときに何か考えられるかということで考えてみたいとおもいます。12月6日、最終回である次回は、建築家で「建築物ウクレレ保存化計画」をやっておられる伊達伸明さんにきてもらって――この人は「現在(いま)」をみる達人なので――、舞鶴の「現在」について話してみようと思います。
まずそれぞれはじめに自己紹介をしていただけますか?

松田:私はずっと脚本とか、戯曲を書いていまして、2004年からマレビトの会というカンパニーで演劇作品を発表しています。11月6日に2号倉庫の方で演劇を行う予定です。

砂連尾:これまでずっと寺田みさこさんというダンサーと一緒にデュオの形でダンスをやってきましたが、最近では高齢者とか身障者といった、これまでなかなか舞台に上がらなかったような人を中心に一緒に何かできないかと考えています。

小山田:砂連尾(じゃれお)って本名でしたっけ(笑)。

砂連尾:そうです。この間、兵庫の浜坂の姓って話で、舞鶴のアンジャ島のお話とか、いろいろとお話しましたけど、淡路島に砂連尾遺跡というのがあることを知りまして。なんとなく大陸からきたって気がします。だから、舞鶴でやる企画がきたというのも、何か関連があるのかもしれませんね。

小山田:みなさんはいつから舞鶴に来られているんですか?

松田:僕は半年ほどまえに小山田さんと一緒だったときが初めてですね。

砂連尾:僕は10月に初めて来て、今回が3回目です。最近までドイツにいっていたので。まだはじめてに近いですね。

小山田:はじめての舞鶴の印象ってどうでした?

松田:特にないかな。舞鶴・・・。でもね、特にないっていうのがおもしろい。軍港の歴史があって、重々しい特徴なのかなって思ったら、意外とやわらかいというか。

砂連尾:赤れんが倉庫といえば、この間までドイツにいっていて、フランクフルトの倉庫群っていうのは、びっちり詰まってて怖いくらいでした。あそこは海に対して壁のように倉庫が建ち並んでて。

小山田:世界遺産にもなっていますね。軍の施設、造船施設っていう倉庫でもあります。あそこは倉庫がびっちりと詰まっていて、光がささない。今は商業目的で使われているんだよね?

砂連尾:そうですね。ブティックとか、カフェとか。オフィスとしても使われていますね。対して舞鶴は、倉庫自体の数がもっと少ないですね。

小山田:そう舞鶴は光がみえる(笑)。

砂連尾:まだ印象というのではないですが、この間、初めて遊覧船に乗ったんです。そのときぐるっと湾内を一周したのですが、周りが山だらけで、ガイドのアナウンスが「向こうが海です」といっていてもピンとこないものがあって。海って感じがしない。それで、今度は地図を上から眺めると――僕はダンスをやっているんで、どうしても身体的なものと結びつけて考えてしまうのですが――、舞鶴の湾は、子宮のようにみえるんです。それで、なんとなく軍港になったことがわかったような気がしました。生まれて、出ていく、そして帰ってくるというか。土地のもつ特性と身体性というのはどこか結びつけて考えられるような気がします。

小山田:そうですね。よくある話ですけど、地図を逆さまにしてみて、大陸側から日本を眺めてみると、弧状に延びているのが日本列島になります。その内海とも呼べるのが日本海であると。日本海を流れる海流に注目すると、その海流のへそみたいなところに、舞鶴近辺があたるわけです。

松田:今日の午前中に「けやきの会」という観光ボランティアのガイドをやっている方にインタビューをしたんです。この方は元々京都の方なんですが、「舞鶴を音でいうとどんな音ですか?」って訊ねたら、「いつも風が吹いている」っていうんですね。風っていっても、すべてをなぎ倒し、身ぐるみはぎとって、まる裸にするっていう荒々しい風じゃなくて、こう常にあって包み込むような風だと。この風には、人を指す部分もあるんでしょうけど、気候的、地理的なものもあるんじゃないでしょうか?実際に山に囲まれているわけですし。この風は対流しているし、存在をそのまま受け入れる風といえる。それはひどい言い方をすると淀んでいるってことになるのかもしれないけど。

小山田:前回の対談のなかで、山田さんがおっしゃった舞鶴という土地が昔からもっている特徴として「受け入れる」という点をあげていました。海人(あま)族を受け入れて、天皇の統治から逃れた人々を受け入れる。
僕自身の印象では「もの持ちがいい」土地って感じがします。砲台跡もそうですけど、手つかずで、存在そのものが受け入れられている印象がある。変化が少ないっていうのかな。こういう場所には、資本主義的な経済っていうの馴染まない気がします。経済的な「モラトリアム」っていうのかな。
東京とかニューヨークとかにいくと、みんな「I think.」だったり、「I do.」だったり、とにかく「I」。主語が「私が」なんですね。一人一人の人はおもしろいんだけど、しんどいときがある。自立を強いられるようなところがあって。でも舞鶴のような経済的な「モラトリアム」な場所にはそれがないんですね。存在を受け止めてくれる。存在をありのままに受け入れている。

砂連尾:僕は、東京の時間の流れにはなじめない気がずっとしてて。東京時間とでもいえばいいんですかね?ついこの間までドイツのベルリンに滞在していたわけですが、ベルリンは完全に経済が破綻しているんですね。夕張市のような状態というか。でも、それをベルリンの人に聞いても「で?」という感じなんですね。

小山田:「だから?」っていう感じ(笑)

砂連尾:そう。昼からカフェに人がたくさんいる。夏休みだからかなって思っていたんですけど、どうやら一年中そんな感じなんです。先ほど小山田さんがおっしゃられたように、ベルリンも今モラトリアム的な空間ということなるんでしょうけど、そういう場所には人が集まりますね。

小山田:お二人は舞鶴の未来についての妄想とか、ご自身の活動の未来に対する妄想ってありますか?
僕は、経済的な「モラトリアム」な場所には、教育がいいと思うんです。大学とか。たとえば、京都市は行政の中心だったってこともありますが、とにかく大学が多い。京都市だけでどれだけの大学があるか。学生が4万人いて、それが毎年入れ替わっています。彼らはこのモラトリアムな時間を4年間――2年間の場合もありますけど――を過ごすわけです。大学とかを誘致するようなことと同じだと思うんですけど、僕には舞鶴にはそういう学校みたいなのをするといいんじゃないかと思います。たとえば、この倉庫内にコンテナをいくつか作って図書館にしたり事務所にしたりする。その前で、講義をするわけです。今回の鼎談みたいに、こういう場所で明かりがあたるとそこで何か起きそうな気がしますよね。そういった感じで、各学問のジャンルの人だったり、アーティストが講義をする。そしてそれは街にも広がっていっていくといいですね。舞鶴の街には、シャッターが降りている店舗がいくつかあるので、そういったところも利用するんです。改装するとかきれいにするんじゃなしに、そのまま。その場そのものの味わいをいかすんです。外部の人にとって、このモラトリアムの舞鶴自体が魅力的なんです。
この倉庫の場合、普通だと仕切りをつくるってなりますが、この大きい空間がいいんですね。例えば『浮遊博物館』の展示準備をしていても、さっき置いたドライバーを取りにいくのに、70メートル歩かなきゃいけない空間のよさ、味わい。京都市内にはこういう空間なんてないわけです。

松田:僕の場合は、具体的なことはまだ何もなくて、漠然としているんです。でも、小山田さんの展示をみていて、二つの感情が湧くんです。一つは、一個一個が「悲しい」というかさみしいんですよね。

小山田:キュンとするよね。モノが人間みたいに人格、というか「物」格を帯びてくる。

松田:キュンとしますね。もの悲しさがある。受難性といってもいいぐらいの(笑)。それともうひとつにユーモアがある。「こうなってしまった」「吊られるところまで来てしまった」というおもしろさがある。モノに人格があるんですね。つらい人生じゃなくて、「物」生がある。でも、展示が押しつけてくる感じがない。アート作品として提示されたものって、解釈を押し付けてくる場合が多くありますが、小山田さんの『浮遊博物館』にはそれがない。鑑賞者側に解釈が委ねられる。その人の位置から、いろいろと物語が生まれるんですね。そしてその背景には、「海」がある。
僕も、演劇に関して、劇場っていう場所のこと、俳優ってことについて考えるんです。観客に解釈を押し付けるのではなく、観客自身にも物語をつむいでもらう。そういった意味で、どこから観客に観てもらうか、っていうことは考えます。この間、大津市にあるびわ湖ホールという劇場で『PARK CITY』という作品を上演したときは、わざわざ劇場の中に客席を組むということをしました。通常の舞台の上で、演劇をやるっていうのは、ある意味で空間を絵画的に額縁にいれて切り取る行為です。それってテレビや映画と変わらない。演劇ならではの空間の使い方を考えたい。劇場じゃない場所でやる演劇というのを考えてみたいんですね。だから、今回の舞鶴で11月6日にやる演劇は、そういったものにしたいと思っているんです。

砂連尾:僕も劇場については考えてきました。劇場は権威になりやすい。だから、劇場じゃないところで、作品を創作できたらって思っています。ですから、舞鶴での企画はそういったものにしたいですね。